新しい私に聴かせる胎教

44歳でピアノを再び習い始めて、最初の曲はモーツァルトのピアノソナタ イ長調 KV331。2曲目はベートーヴェン「悲愴」をやっています。

子どものころから伝記を読むのが好きで、モーツァルトもベートーヴェンも何度も読みましたが、神童、天才肌のモーツァルトと、大酒飲みの父親の元で育ち、大人になってからは難聴に苦しんだベートーヴェン。

私が心惹かれるのはベートーヴェンのほうでした。だって、才能に恵まれた人の話より、困難を生きた人の話の方が魅力的だもの。小学生の頃からそんなことを思っていました。

でも、なぜだろうか、大人になった今は両方の魅力をちゃんと感じられる。神様から愛されたモーツァルトの曲の中ではこれが一番好きで、レッスン曲としては終わっていても、個人的に好きで弾いています。

この曲を弾いていると、なぜだか思い出すのは娘を産んだ病院の新生児室。オルゴールの音楽が流れていて、新生児がズラッと並んでいて、赤ちゃんが泣くと母親が呼び出されて授乳しに来る。ホカホカの赤ちゃんがたくさんいるお部屋で、赤ちゃんを抱っこしているときのあの感覚がよみがえってくるのです。ここは非日常で、生命だけがフォーカスされた世界。

赤ちゃんは、無垢でピュアで、ただ愛される存在。そして、無限の可能性を秘めた存在。44歳の私は決して無垢でもピュアでもなくて、可能性だって有限であることはわかっているけれど、でも限りある中でも、可能性を最大化したいという気持ちがあります。

だからこの音楽は、また新しい自分が生まれるとき、自分に聴かせたい作品。あれ、もう生まれているけど、新しい自分への胎教か?

大丈夫、可能性は自分次第で最大化することはできるよ。がんばれ私。そして私も、コーチングを通してあなたの可能性を最大化するお手伝いをしたい。

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