仕事のできる女、仕事を愛する女

今日中にこれだけは絶対にしあげないとまずい、というときに限って、ほかの案件でも「本日中にお願いします」と言われたりします。さらに、数分で済むような業務も次々とやってくる。

これはもうキャバオーバーだ、今度こそ絶対無理そうだ、そう思うことはあっても、私の業務効率がもっと上がれば、こなせる業務量なのかもしれないとも思うと、なかなかヘルプは言い出しにくいというのもあります。

私は何を恐れているのか?私は実はよくわかっています。これ以上の業務量は厳しい、と言ってしまえば、「仕事ができないひと」と思われるのではないかという恐怖です。「仕事のできる女でありたい」そんな私自身のニーズが、痛いほど自分自身の中で感じます。「ニーズ」って、コーチングの世界では、私自身が役割や環境に関わらず求めているものを指します。(ここでは、単に「必要なもの」という意味ではなく)

じゃあ「仕事のできる女」とな何なのか?・・・そういうことすらちゃんと考えておりませんでした。交渉がうまいこと?人の育成が上手なこと?ミスをしないこと?仕事が早いこと?どれも間違ってはいないけれども、核の部分を突いていない気がします。

仕事への思い入れがあること、それが伝わること。一緒に仕事できてうれしい、と思ってもらえること。私自身が仕事が楽しいと感じていること。ひょっとしたら「仕事を愛する女」でありたい、というほうが、正しいのです。

在宅勤務って、効率的です。通勤時間がゼロですしね。その中でさらに効率的であろうと私は努力しているわけですが、効率を追いすぎると、あるところでプツンと糸が切れます。

すっかり火が落ちるのが早くなって、空には月が。ああもう、仕事ができるできないはもう手放そう。この仕事が、どこかの国の誰かの願い、幸せに繋がっていると思えるし、そんなこの仕事を私は愛する、それでもう十分ではないか。

パソコンから目を離し、ふと外を見るともう暗い。月がきれい。どんなに仕事が大変な状況だとしても死ぬことはない。だから、私は大丈夫、と思えているのが、今の私の拠り所です。

先日お亡くなりになった、瀬戸内寂聴さんもおっしゃっていました。「人生は大体なんとかなる」と。

 

 

 

 

 

 

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