不具合を愛すること

私は、「先天性耳瘻孔」というものを持っていた。耳に小さな穴が開いているのだ。日本では20人に1人くらいの割合で生まれるらしく、場合によっては感染して炎症を起こす。それで私は高校生のときに手術をした。当時の医師の方針か、私の場合は全身麻酔で数泊ほど入院。その傷は、真冬に冷たい風に吹かれると痛かったりもしたが、20年近く経つ今まで、特に気にも留めずに過ごしてきた。ところが最近、その傷跡が痛み出してきた。なにしろ耳。自分の目で見ることができない。仕事柄、私はヘッドセットをよく使うがヘッドセットが当たって痛い。普通のイヤホンは痛くて耳にはめられない。

ねえねえ、私の耳のここ、なんかなっている?夫に見てもらうと、あ、なんかできてるよ、と。スマホで写真を撮ってもらって初めて私は自分の耳を見ることができたのだが、ああ間違いなくこれは手術の跡の場所だ。普段私は病院にはなかなか行こうとしないが、今回ばかりは、さすがに受診した。医師の話だと、どうやら手術で取り切れなかった袋状の穴、がまだ残っていてそこが炎症を起こしているらしい。ひどいようなら再手術になるが、成功率は低いといわれる。結局抗生剤をもらう。

私の体にはこうした「不具合」はあるし、先天性耳瘻孔は胎児期に耳が形成されるときにうまくいかなかったから、とされていて、私の母はそれをかなり気にしていた。ごめんねと謝られることもあった。私は母のせいだとは全く思っていないし、誰も悪くないのは明らかだ。いやむしろ、20人に1人なら、なかなか希少価値がある耳なんじゃないか、とすら思っている。 エチオピアで「耳瘻孔の持ち主は莫大な富を築き上げることができる」とすら言われている。

体の不具合については、多くの場合ネガティブな思いにつながる。私でいえば、例えば染めても染めても結局白髪は白髪として生えてくることに軽い絶望感を抱いているし、腫れた卵巣嚢腫が卵巣癌へ移行するリスクを説明されるたびに気が重くなる。しかし、この耳瘻孔だけは、手術済みではあるが、なんだか愛着があるのだ。だから耳瘻孔は私に、「不具合のある部分を愛する」ということを教えてくれているような気がしてならないのだ。

残念ながら私はまだ莫大な富は築き上げてはいないが、少し期待をしてしまう!テンションを下げる白髪は、これまで年齢を重ねてきた証とも言えるし、爆弾かもしれない卵巣嚢腫は、かつて男並みに働くことが幸せなことと思っていた20代、シングルマザーになって結局有無を言わさず、それが実現してしまった30代を、共に過ごしてきた相棒のような気もしている。