「機械仕掛けの」料理

再婚してからはずっと、我が家にはオーブンがなかった。単機能の電子レンジはあったので、そこまで不便さは感じなかったけれど、困るのは、娘がバレンタインデーの時期にお菓子を作りたい、というとき。オーブンがなくても作れるものはあるし、その時その時で工夫はしてきた。キャンプ用のダッチオーブンがあるから、いざとなれば丸鶏だって焼ける。

しかし先日、ひょんなことから、ヘルシオを買うことが決まって、最近はかなりのヘビーユーザーになっている。まだ1週間ちょっとだけれども、焼きリンゴも、焼き魚も、ステーキも、蒸し野菜も、とにかく正しい操作さえすれば絶対に失敗がないというのは私にはとてもありがたいこと。たいてい、私は調理をするときは急いでいることが多く、急ぐあまり強火にしてしまい焦がすというのがいつもの失敗のパターン。自分の中でもかなりの重荷だった日々のお弁当作りも、確実に1品、場合によっては数品がヘルシオに任せることができるというのは、劇的な変化であって、このヘルシオは革命的な調理家電なのではないかと思っている。

おまかせ調理機能というものがあり、複数の食材を同時に入れてもちゃんと料理ができあがるというのは、おそらくAI技術なのだろう。すごいなあ、とただただ感心する。私がフライパンで料理するよりも、数段おいしいものがボタンひとつでできるなんて。

そんなときにこんな漫画を読んだ。いろんなロボットが出てきて、人と共に生きる姿が短編で描かれている。どの作品も胸をぎゅっとつかまれたような感じで、私は1巻を読み終えた。「自動出産機」で子どもを持つこともできる。もう一人子どもが欲しかった私は、もしこの機械が存在するのであれば使うのだろうか。たぶん、使うのだろうと思う。作品の中では、そろそろこの子が飽きたから、今度は男の子のロボットにしよう、というカップルの姿も描かれている。子どもを望む私の気持ちは、ペットが欲しいという気持ちと何が違うのか。違う違う、絶対違うと思いつつ、40代半ばになりつつも、なおあきらめの悪い自分自身にゾクッとするような気持ちにもなる。
(この漫画を知ったきかっけはこの記事→「身寄りのない青年が「自動出産機」で得た家族の姿」)

ヘルシオは、ある意味「機械仕掛けの料理」ともいえる。いい悪いではなく、便利だしおいしいから私は使う。そこに罪悪感はない。ただ、ヘルシオの同時調理で、出来上がった蒸し野菜が少し柔らかすぎたり、鶏の唐揚げがうまくできなくて、べちゃっとなってしまった。やっぱり唐揚げは油で普通に揚げるのがおいしいんだなあ、などと思うと、ちょっと変な安心感すら芽生える。私は、この機械の優秀さに惹かれると同時に、不完全なところにも惹かれている。

不完全さを内包する存在が人間なのか。いやこの作品に出てくるロボットであっても、完全ではない部分があり、人間とロボットの違いすら一瞬わからなくなる。ただ、どちらも愛を求め注ぐことで満たされる存在であるように思えてならない。