友だちがいない、と感じる瞬間

コーチングセッション中、クライアントの使う「親友」という言葉に反応する私がいた。ずいぶん久しく使っていない言葉のような気がしていた。私にとっての親友って?思いつくのは、15歳のときからの友人Aちゃん。高校卒業後も年に数回は必ず会っていて、地方に進学した私にも一度会いに来てくれたし、1回目の結婚式にもわざわざ来てくれた。その後1年ほどで離婚した私を、責めることもなく、批判するでもなく、ボロボロになった私に会いに来てくれた。出産と離婚で既に退職し、周りとの接触を断っていた私が、唯一つながっている存在が彼女だった。私は、娘の名前に彼女の名前の一部をつけた。彼女のように、すてきな女性になりますようにという願いも込めて。

彼女は、シングルマザーで出産した私のところに月1回、会いに来てくれた。彼女と私、娘の3人で公園に遊びに行ってボートに乗ったこともあった。彼女が娘を抱っこする姿はまさに女神のようで、今も脳裏に焼き付いている。

数年後、彼女も結婚し、待望の赤ちゃんが生まれた。うれしくて、私も娘を連れて会いに行った。駅まで迎えに来てくれて、自宅に行くと、旦那さんが小さな男の赤ちゃんを抱いていて、ああ、よかったなあ・・・と心から思った。高校生の頃からやさしくて、女性らしくて、家庭的な彼女。素敵なお母さんになるんだろうなと心から信じていた。

ただ、あるときから連絡が取れなくなり、年賀状も宛先不明で戻ってくるようになった。携帯は解約してしまったのか。番号が変わったのか、つながらない。当然メールもエラーで戻ってきてしまう。SNSで彼女の名前を検索してみたがやっぱりみつからない。もしかしたら地球のどこか、外国で暮らしているのだろうか。私が何か彼女を怒らせるようなことをして着信拒否されたのだろうか。今後付き合いたくないと思って、連絡先が変わったことを教えてくれなかったのか。せめてそうであってほしいと思った。元気で生きていてくれたらそれでいい。

私は寂しいんだと思った。なぜなら、彼女は私にとっては間違いなく一番に大切な友達だったから。そのせいか、「私には友達がいない」と感じてしまう瞬間すらある。今の私にできることはなんだろうか。少し前にひとつ、行動を起こしてみたが、何も変わらなかった。もうひとつ、行動をおこしてみようと思う。今の私がいるのは、紛れもなく、彼女のおかげだし、彼女のことずっとずっと大好きだから。たとえ嫌われていたとしてもかまわない。

ブログ

前の記事

「機械仕掛けの」料理
ブログ

次の記事

怒りってすばらしい