受け入れ難いものを受け入れる寛容を

今日は同じコーチ仲間のオンライン講演会に参加。口唇口蓋裂、そして国の指定難病のひとつ、高安動脈炎を乗り越えた、この絵本の作者、菊武由美子さんです(私は菊ちゃん、と呼んでいます)。

口唇口蓋裂で生まれた赤ちゃんを両親が受け入れられず、赤ちゃんが餓死してしまった悲しい事件は私もまだ記憶に新しいです。私は医薬品関係の仕事もしており、口唇口蓋裂は手術で治ること、治療法は日進月歩で、再生医療という選択も今はあること。それを知っている中で、本当にショックが大きいことでした。

口唇口蓋裂を受け入れられなかった家族

私は会社で医薬品関係の仕事をしていますが、いつも思いを馳せるのは、薬を使う患者とその家族のこと。「データの向こうには患者がいる」それを私はいつも頭に置いています。

どんな葛藤があったことか、それを受け入れていく過程を思うと、途中で涙が出そうになりました。そして、何よりも菊ちゃんのご両親の深い愛情がすばらしく、菊ちゃんに治療を受けさせるときのご両親の行動、選択には、心に響くものがありました。「愛とは具体的な行動である」という言葉を思い出していました。

菊ちゃんが好きな言葉としてあげていた「ニーバーの祈り」
自分に変えられるものを変える勇気。自分に変えられないものを受け入れる寛容。その2つを見極める叡智。
それを全力で実行してきた彼女に、本当に拍手を贈りたいし、ここまで本当に生きてくれてありがとう、という気持ちです。

病気に限らず、なぜ私が、どうして私だけが、と感じることは、きっと多くの人にあることだと思います。それを受け入れることは決して簡単なことではありません。いったいどうしたら人は受け入れ難いものを受け入れられるようになるのか。

私の場合は、人に自分の気持ちをを話すこと、がきっかけでした。実は私には、まだ受け入れきれていないこともあるから、そのプロセスは大事に扱っていきたいと思います、

『世界中の口唇口蓋裂の子どもが必要な治療をうけられる社会』へ。その菊ちゃんの願いを、これからも応援したいと思います。

さて、私はといえば、生まれつき小さな穴が耳に空いていました(先天性耳瘻孔)。それ自体は困ることではないのですが、私の場合はそこから炎症を起こして、17歳のときに手術をしました。完治したはず・・・が、今になってその傷跡が痛み出しました。見た目がグロいので(自分では見えないけれど、家族が見るとギョッとする)、出社のときは髪でちょっと隠しています。会議室では左耳を見られないように、左端に座ったり。抗生剤で炎症が抑え込めたら、再手術を予定しています。耳の軟骨を一部切り取って皮膚でつなぎ合わせます。ちょっとドキドキです。手術がいつになるかはわかりませんが、私の耳は、次のステージへ、ということで手術がんばってきます。ついでに、人の心の中の音楽を聴く力がつかないなぁ、なんてね。コーチとして「聴く」力は地道にコツコツしかありません。