胎教ができなかった私へ
ピアノを習うことにしました。先日娘と連弾をしてから、やっぱりちゃんと習いたい気持ちが強くなってきて、とうとう決めてしまいました。先生からは好きな曲なんでも!クラシックでもポピュラーでもジャズでもOK、ということでした。単にいつか弾いてみたい憧れの曲はいくつかあるけれども、自分の技量も考えて選んだのはモーツァルトピアノソナタ11番(K.331)第一楽章。
この曲に惹かれていたのは10代のころからで、当時先生のレッスンを受けた曲ではなく、なんとなく楽譜を見て自分で少しだけ弾こうとしていた曲です。大人になってから改めて聴いてみると、「無垢さ」のようなものを感じます。赤ちゃんの寝顔を見ているかのような、心のときめき・・・。この曲はけっこう長くて、完全に最後まで弾けるようになるまであと何か月かかるかしら。かつてのように「がんばる」のではなく「楽しみ」のひとつとして私の生活の中にピアノが入ってきました。
そういえば、モーツァルトは胎教にいいと良く聞きます。私は、妊娠中胎教どころではなかったのです。胎教とは程遠い生活をしていました。あろうことか、妊娠中に離婚までしたのはこの私です…。本当は、もっと前はいろいろ考えていました。胎教でモーツァルトを聴かせるといいのならやってみよう、と。幸い、無事出産し、娘は健康に育ちましたが、精神的に安定した妊娠期間を送ってこなかったことは、私の中に罪悪感に似たような気持ちが、ないと言えば嘘になります。
当然、もう胎教が…なんて言えるわけもないけれど、今、モーツァルトに出会い直した、そんな気がします。