自分自身の母親になる

母親との関係に苦しむ人がなんと多いことか。子どもの頃は、母親が自分の世界の大部分を占めるし、成長するにつれて、子どもには子どもの世界が少しずつ広がっていく。それでも、成人してからも、30代でも40代でも、それ以上の年齢になっても母親のことで苦しむ人は多い。

それはお母さんの問題であってあなたの問題ではないですよね、という言葉が出かかるが、バシッと境界線を引くことが難しいのはよくわかる。ましてや、一緒に暮らしているならなおさら、顔を見合わせることからは避けられないし、境界線を引いたところで簡単にそこを飛び越えてくる。

私もかつては、離婚と同時に実家に出戻ったこともあり、実家の助けを借りずにしっかりと母子家庭やっている人たちがなんだか立派に見えて、自分がとても恥ずかしかったなあ・・・。子どものためには、祖父母がいたほうがいいんだと、今の自分の暮らし方、家族構成を正当化する理由を必死で探していた。

でも、苦しいのは今の現実が、自分の意に沿わないけどしょうがなかったんだ、こうせざるを得なかったんだ、と理由を自分以外のものに求めていること。もう、この苦しい生活は「自分が選んでいる」と思ってしまったほうがいい。自分が今の生活を選んでいると思えれば、じゃあ次はどんな生活を選ぼうか?って思えるはず。

母親という存在は聖人君主なんかではないってことは、きっとあなたもわかっているはず。なによりも私自身が母親としてはポンコツですもの。靴下が片方だけ行方不明、仕事しながら夕飯の支度!マルチタスク~と効率的にやっているつもりが、結局焦がしてひどい仕上がりだったり。図星な指摘に、おとなげなくムカついてみたり。

あなたの母親が、あなたを苦しめる存在なのであれば、じゃああなたが自分自身のお母さんだったとしたら?自分で自分をどうやって育てる?どんな声掛けをする?不安でなかなか一歩踏み出せないあなたを見守って、背中を押すんじゃないかなあ。出発するあなたの背中を見ながらどんな気持ちになっているんだろう?

あなたがかつて、お母さんからかけてほしかった言葉を自分自身にかけてほしいのです。私たちはもうそれができる年齢ですもの。

 

 

 

 

 

 

 

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