私が負けるわけがない
少しは強くなれたかい?
物心ついた頃から強くなりたいと願っていた気がする。泣き虫だった私は、子どもの頃は本当によく泣いていたし、それは10代になっても変わらず。人前で泣くなと言われたことがあるが、涙を意識でコントロールできる方法なんかあるのか?と常々疑問ではあった。しかし40代になると、多少はコントロールできるようにはなった。これはある意味、年の功ともいうのかもしれない。ただ、ここ最近は悲しくて泣くことは減っている。もちろん、凹むことは多々あるが。
中学校卒業時、私は、「高校生になったら、悲しくても笑っていられるな強い人間になりたい」と書いた文章が残っている。今思うと、なかなかのハイレベルを求めていた気がする。40代半ばになっても、悲しいときは悲しいし、無理して私は笑えないし、そういう無理をするエネルギーがない。悲しい時は、悲しんでいたい。そんな私は強くなれたのだろうか?15歳の私は、強くなったね!と今の私に言ってくれるだろうか?
どんな人間になりたいかと今問われたら、今の私の答えは「強くて優しい人」だ。相変わらず、強さを欲している。ただ、その強さとは、決して悲しい時に笑うことではない。失敗しても、思いが伝わらなくても、自分の弱さや欠点に絶望しても、すぐに立ち上がれなくても、私が私でいることなのだと思う。
私が私でいること。それは私の場合、悲しい時に悲しんでも、しばらく倒れこんでいても、へたり込んでいても、そこで自分の好きな音楽に手を伸ばし、その音の波をを自分の体に響かせること。すきな場所に行くこと。食べたいものを食べること。そういうことだ。
そして実は私は「私が負けるわけがない」とすら思っている。私にとって、負けるとは、自分の気持ちを押し殺すこと。自分を大切にして、自分の魂が喜ぶ生き方をしていれば、きっと、私は強くなった、と思えるのだと思う。
そんなふうな思いに至るきっかけになった、あるミュージシャンの音楽に感謝し、とうとう私はファンクラブに入会してしまった。