家族が会社だとしたら

5月は母の日と私の誕生日があったので、娘からもメッセージカードをもらった。そこには、今が「楽しい」「よかった」という言葉があった。それが私はとてもうれしく、どこかでホッとしたところもあった。再婚してからというもの、「私の再婚は、娘にとって本当はどうだったのだろうか」という問いが頭の片隅にずっとある。シングルマザー時代、もう一度家庭を築きたいとずっと願っていた私。それが実現した今、とても幸せではあるが、それはあくまでも私のこと。娘にとっては実際のところどうなのか。娘の父親を私が選んだという事実の重みを感じていて、「お母さんが幸せなら子どもも幸せ」という言葉に、甘えてはいけない気がしていた。

もう立派なティーンエイジャーである娘の、今の生活に対する肯定的な言葉に、何よりもうれしく感じた。子どもは親を選べないとも言うし、親を選んで生まれているとも言う。どちらも一理あると思う。医学的・科学的に考えれば、もしくは証拠や理論をもって証明することを正しいというのであれば、子どもは親を選べない。ただし自分がどう思いたいかは自由だ。それが医学的に科学的に証明されていなくたって、そう考えることで自分が幸せになれたり、心強くなれるのなら、親を選んで生まれてくると思っていい。

多くの偶然の重なりと、数々の困難を乗り越えて、今の家族がいると思っている。だから、それが娘にとって本当に良かったのかと考え出すときりがない。ただし、私はこの15年、その時その時、もがきながらも、一生懸命で歩き続けてきた感覚がある。だから、この生活は間違いじゃない。娘の今が「楽しい」「よかった」なのであれば、なおさらだ。ひっそりと祝杯だ。

そんなときに読んだ本に、答えがあった。そうだ、私の家庭が会社なのであれば、わが社の事業は「それぞれが自分の人生を生きること」だ。私が社長だとしたら、娘は一番若くて働き盛りの社員か。夫は中途採用の管理職といったところだろうか。若手の社員が「仕事楽しい、この会社でよかった」と思ってくれているなら、社長としては最高に喜ばしいことだ!

「家族って、会社みたいなもんだと思う。家族という組織の目的は生きること。その事業が継続できるのなら、編成はなんでもいい。」