絶望と喜びが共存した日

先日、娘の誕生日だった。いつも誕生日プレゼントにはメッセージカードをつけていて、その日は在宅勤務だったので、朝ゆっくりとメッセージを書いていたら、涙がポタポタと・・・。噓でしょ、なんで・・・といつも思う。私は、どうやら文章を書いているときに泣くことが多い(パソコンではそういうことは起こらないから不思議)。実はこれ、誕生日のたびに同じことを繰り返していて、それは年によっては、会社近くのカフェだったり、自宅だったりもするけれど、今年も同じ。娘へのメッセージを書くということは、私の中の、中核にに触れる行為なのだと思う。

いくら普段、娘が思春期真っ只中の不機嫌な様子だったとしても、そんなことは関係なく、私は娘のことをただ大切に思っているんだなあ・・・とまざまざと感じた瞬間だった。妊娠して、離婚して、それから出産したあの日は、絶望と喜びが共存していた。こういった相反する感情が共存するって、不思議。でも、「好きだけど嫌い」「見たいけど見たくない」「愛しているけど憎い」って実際にあるし、これが「アンビバレンス(一つの事象に対して相反する感情や気持ちが両立している状態)」なのだろう、と高校生のときに知った言葉が今になって思い出された。自分の中で矛盾した感情があって、時にそれを責めていたり、自分の気持ちがよくわからないという人もいるけれど、それは全然おかしなことではないと思う。どちらも自分の感情なのだから、それぞれ同時に存在していてよい。

絶望と喜びが共存するアンビバレンスの中、生まれた娘は、私にはやはり特別な存在。私が最も苦しい時代を共に生き、私にとっては戦友ともいえる存在。泣きながら書いたメッセージカードにはさぞかし感動的なフレーズがあるのかと言えば、実際はそうではなく、「私のところに生まれてくれてありがとう」「私の娘だからあなたなら大丈夫だと思う」、という感謝と根拠なき私の自信(思い込み)なのだ。娘よ、あなたはたぶんいろいろ気にいらないこともあるのだろう、でも、どんなときも私はあなたを愛している。その思いが胸の中核にあるのを感じていられるから、私は平気だ。