明日の命ぞ誰が知る
時折、ふと思い出す口上があります。いったいあれの出どころは何だったのだろうと思って、少し調べてみました。
風紀名門の子女に恋するを純情の恋と誰が云う
路頭に彷徨う女性に恋するを不浄の恋と誰が云う
雨降らば雨降るよし、風吹かば風吹くよし
月下の酒場で媚を売る女性にも睡蓮の如き純情あり
酒は飲むべし百薬の長、女抱くべし人生無常の快楽あり
妖娼美人の膝枕、一夜明ければ金もなければ、また夢も無し
流れる汗にザイルを結び、悴む腕にピッケル抱え
我等山行く渡り鳥、明日の命ぞ誰が知る
いざや唱わん、惜別の歌(←ここは学校によって変わる)
改めて全文を読むと、「流れる汗にザイルを結び、悴む腕にピッケル抱え 我等山行く渡り鳥、明日の命ぞ誰が知る」という部分があるから、私の在籍していたワンダーフォーゲル部にも伝わってきたんだろうなと納得。これは、元々別の大学の寮歌だったようです。
昭和時代を彷彿とさせるこの口上。どこの大学でも、士気を高めるとか、連帯感を高めるためのもののひとつだったのかもしれません。
この口上の後、キャンプファイヤーを囲んで歌を歌っていた時代から、もう20年以上が経っているけれども、未だに覚えています。
男女比がむしろ女のほうか多かった当時のワンゲルでも、この口上は割とすんなり受け入れられていたように思います。「女抱くべし…」なんて言葉が入ってるけれども。そういえば、女性部員しかいなかった期があり、その気は女性の主将がこの口上を言っていたんだよ、と、夏合宿のときに先輩から聞いたこともあります。
睡蓮の如き純情を持ちつつ、渡り鳥のように歩んでいきたい、というのが、実は私の願いに近い。仕事でもなんでも、純粋さは持ち続けていたいし、何よりも私は、地味な仕事(医薬品開発)が、世界のどこかの誰かのためになる仕事だと信じているから。コーチングの仕事でも、クライアントが行動を起こすときの勇気と力にいつも心打たれているから。
「明日の命ぞ誰が知る」と脳内で呟きながら、今日は健康診断に行ってきました。視力は下がっているし、体重は増えているし、もう正直、テンションの下がる結果でしたが、どんなひとでも明日の命は保証はされていません。だから、その1日を全力で生きたいと思うし、やりたいことはたとえ時間がなくてもやろうと思っています。
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