悲しさの中の希望を弾きたい

ピアノを再開してほぼ1年。明日がピアノの発表会です。
未就学児~小学校低学年の子どもたちがほとんどのピアノ教室なので、雰囲気的にはそんなに緊張しないけれど、
どこか「大人の演奏をしてやるぜ」みたいな気持ちがある私・・・。

弾くのはベートーヴェンピアノソナタ「悲愴」第1、2楽章。
実はこの曲は私自身は中学生のときに弾いているけれど、当時はただ弾いているだけだったな、と思います。
大人になった今はやっぱり思いの強さは雲泥の差。

ただ嘆き悲しむだけじゃなくて、悲しみの中から一筋の希望を見出し、歩み始める。そんな曲だと思うのです。
最初の結婚から長女を授かった喜び、一転、離婚へ。絶望の中でも、お腹の中の娘の存在は私の一筋の希望でした。
シングルマザーとして葛藤を抱えながらも、小さな娘の存在を支えに、再び社会で働き始めたあの時。
これまでの約20年弱の想いを、この曲に表現してこようと思います。

さて、よく聴いていた辻井さんの演奏。
いったい、素人とプロの演奏は何が違うのだろうか、と考えていました。
例えばこの辻井さんの演奏には、悲しみを包み込むかのような暖かさが感じられます。
そして、辻井さんとピアノが一体化しているかのような感覚。

自分と「物」の一体化。
思い出すのは自動車の教習所で最初に私が教官から言われたこと。
「君は車に乗っているんじゃなくて、車に乗られている」

これに似ている、と思いました。
弾き手とピアノが分断しているのではなくて、一体化しているのがプロの演奏。
素人ですが、どれだけ私がピアノと一体化できるのか。気持ちだけでもそのイメージで行ってきたいと思います。