どうして、どうして

よく乗る電車で人身事故があり、亡くなったのは、高校生だったとのこと。
その駅は、私が10代と30代のころ、何度も何度も通った場所。

どうして、どうして、どうして。

私は、会ったこともないし、その子のことは何ひとつ知らないけれど、
君が最後に生き、飛び込んだ場所のことはよく知っている。

どうして、そこで、身を投げてしまったのか。
見ず知らずの私が悲しんだところで失われた命は戻らない。

じゃあ私は何ができるんだろうか。
手を合わせてみても何を祈っているのかもわからなかった。
”ご冥福をお祈りします” 冥福って何だろう。死後の世界での幸せ。
そんな言葉が遺された、遺された親御さんの気持ちを
少しでも和らげられるのだろうか・・・

何があったかはわからないし、私は彼の何ひとつ知らないが
今はつらくても、いつか
「それでも人生はすばらしい」と、感じてほしかった。

生きているのが嫌になってしまうことって、あると思う。
でも、どんなにつらいときも、心臓はその人を生かそうと動いている。
その心臓の鼓動は、胎児のときから始まっている。
君のお母さんは、きっとエコーで映るチカチカと点滅する鼓動に喜びを感じていたはず。
その日からずっと、昼夜問わず、心臓は君を生かそうと動いてきた。
あまりにも悲しいよ。

体の仕組みって、本当に精巧にできている。
体温もほぼ一定に保たれ、必要なホルモンも作り、
何かが不足すればちゃんとそれを補うように体内のシステムが働く。
君が飛び込んだその瞬間まで、心臓は動いていたんだ。君を生かそうとして。

これまで何度も人身事故の知らせを見てきたけれど
今回はあまりにも悲しくて、気を抜くとぼんやりしてしまいそうで
自分でも戸惑うほど感情が乱れているのを感じてしまいました。

「人身事故のため、運転を見合わせております」
そんな知らせをこれから目にしても、遅れちゃうよ・・・などと私はため息をつくことはないと思う。
ただ、悲しむことしかできないだろうな。

生きてほしかった。見ず知らずの私が言えるのはただそれだけだ。

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