戦友についての私の飛躍した思考

論理の飛躍 わかってはいるけれど

シングルマザー時代、子どものことで何かあると自分がシングルマザーだからか?と脳裏に浮かんでいた。子どものことで学校の先生から言われたこと。こういうことが起こったのは私がシングルマザーであるから? それならまだわかる。しかし、それと同じレベルで、子どもが好き嫌いをして、豆を食べない、ネギを食べない。それは私がシングルマザーだからか?という思考が生まれる。さすがに論理が飛躍しすぎているだろう、と自覚はあるのだが、常に私はこういう思考が生まれてくるのだ。コーチングを受けるようになってから、そして自分もコーチになってからはさすがに自分自身の思考は客観視できるようにはなってきたが、それでも自分でもコントロールできない部分と自覚していない部分は多い。

時は経て、私は再婚をした。今では子どもは成長して、立派なティーンエイジャーだ。そんな今でも、子どものことで何かあると、「私が再婚したせいだろうか」という言葉が浮かんでくる。40代の私は、30代の頃と相変わらず同じ思考回路をしていて、さすがにこれは論理が飛躍してないか?と自問する。真顔で「これやっぱり飛躍してますよね?」と第三者に確認したくなる私。

一番の私の願いは

そもそも、私は子育てにおいて何を大切にしたいのか?シングルマザーでスタートした私の「母親」生活。「お母さんが一人で寂しいだろうから私はそばにいてあげよう」と、娘が自分の進む道を閉ざしてしまうことだけは絶対に避けよう、そう強く決意していた。今もその思いは変わらない。どうか私のことなど気にもせず、飛び立ってほしい。娘には本当に自分の人生を生きてほしい。誰かの目を気にしたり、世の中の「普通」にとらわれることなく、自分の人生を自分で切り拓いてほしい。それを思い出したら、私の役割は、まずは娘を社会に送り出すことだ、と思った。自分の体から生まれてきた娘ではあるけれども、やっぱり娘は「授かった」という感覚が強い。彼女との出会いもまた、私は自分の器を大きくしてくれている。そして、私自身本当に辛かった時代を共に過ごしてきたから「戦友」だと私は勝手に思っている。今もあなたは、芋類の味噌汁はイヤだと言うが、そんなことは本当に些細なことだったね。愛している、我が戦友よ。