どうか私を振り返らずに旅立てますように

私が離婚後出産したとき、父親を知らないこの子をいったいどうやって育てていったらいいのだろうか、途方に暮れていた。ごく一般的に売られている育児書は、ほとんどすべてが父親がいる前提で書かれていてたとえその本のほんの一部の章に「ご主人」「パパ」「お父さん」という表記があることすら目を背けたくなるほどだったので、私は育児書を読むのはやめてしまった。しかしある日、この本に出会った。

本当にこの本には励まされた。そうか、私だってこの子を健全に育てられるんだと思った。ひとり親ゆえに特に気をつけなければならないことは何なのか?両親そろっていようが、いまいが、同じ。ただ、ひとつだけ気に留めておくことがあるとすれば、子どもが親のことを心配して旅立てないことがないように、ということだった。例えばそれは、お母さんが一人でかわいそうだから、私はお母さんのためにずっと家にいようとすること。

それを読んだときに、私の子育ての指針が定まったような気がした。成長した娘が私を振り返りもせずに飛び立ちますように。そうなれるように育てていこう。そう思った。その願いは再婚した今も変わらず持っている。あと片手で数えるほどで、娘は遠くに進学にすることもありうる。行きたいところに行きなさい、やりたいことをやりなさい。思ったように自分の人生を生きなさい。見送る日がきっと来るのだろう。そのときに娘が振り返らず、いやむしろ、靴で土を蹴り上げるほどに勢いよく旅立ってくれたら、私は寂しい気持ちもあるだろうが、たぶんそれ以上に神様に感謝したくなるのだろう。

あるクライアントとのコーチングセッションで、私自身も改めて自分がどんな願いを持って育ててきたかを思い出した。いや、正確に言えば、育てたというよりかは、娘が自分の力で育っていくことに私は少しだけ関わらせていただいた、という感覚だ。子どもに自分の人生を生きてほしいと思うのなら、まずは自分自身が自分の人生を生きること。そこにクライアントも私も共感し、お互いの心が場に響きあっている感覚を覚えた。そういえば、セッションとは「響きあい」という意味を持つ。どうかクライアントが、自分の本当の願いを思い出し、それを叶えるために現実を動かせますように。

 

 

 

 

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